まえがきに書ききれなかったこと
書店でお見かけの際はお手にとって(そしてあわよくばご購入して)いただければ幸いに存じます。
ここでは、「まえがき」に書ききれなかったことを書いておきたいと思います。言い訳みたいなものです。
このような文法書を書いてもらえないだろうかというお話をいただいたのは、今からもう5年も前のことになります。紙幅が限られていたため「まえがき」に記すことはできませんでしたが、ご担当いただいた編集のSさんには本当に長いことお待たせしてしまいました。辛抱強く原稿をお待ちいただき、また仔細にわたって校正をしていただき、もうSさんには足を向けて寝ることができないほどご面倒をおかけしました。まずはここでSさんに深謝する次第です。
「まえがき」にもすこし書きましたが、この書籍の企画があがってきた当時はモンゴル語の語学書は限定されていました(その後の5年間でかなり増えました)。多くは会話習得を目的としたスキット型の語学書で文法事項の説明に乏しかったうえ、文法項目から学ぶタイプの学習書はありませんでした。しかしながら、モンゴルと日本との距離が近くなったいま、モンゴル語を学ぼうと考える人の目的も多様になってきています。会話習得だけでなく、モンゴル語で書かれたさまざまな情報を得たいという人もいることでしょう。また、世の中にいる語学好きの人の中には、文法をある程度体系的に学びたいという人も少なくないと思います。そういう方のニーズにも応えられるように、という思いで執筆してきました。
しかしながら、いざ脱稿してみるといろいろと反省すべき点も見えてきます。とくにもう少し書ければよかったと思うのは「文」に関する説明です。本書は品詞分類&語形成という視点からモンゴル語の文法を説明していますが、もう少し文の構造についてていねいに書くことができればよかったと感じています。
そしてもう一つは正書法についての説明です。モンゴル語の正書法は非常に複雑で、かつ時代とともにマイナーチェンジを繰り返しています。そのため、本書で示したような語形とは異なる語形も、モンゴル語の文献には多く使われています。こうした例の説明や、語幹に接尾辞が接続した際の母音の脱落規則、接尾辞の異形態の出現条件などについても、少していねいさに欠けたかなという印象です。この他、足りない部分はいくつも出てくるのですが、いずれもぼく自身の能力不足によるものです。もっと精進しないといけません。
一方で、少し挑戦した部分もあります。まず、伝統的なモンゴル語学における文法用語を用いなかった点です。動詞の屈折形式である「形動詞」「副動詞」、名詞の格のいくつか(対格・造格・奪格)については、今回別の名称で対応しました。ぼくがモンゴル語を学び始めた当初、こうした用語を覚えるのに苦しめられたからです。たとえば「奪格」と聞いて、この格がどのような役割を果たすのかすぐにピンとくる人は、けっこうな語学マニアか、言語学をかじったことがある人か、その言語を学んだことがある人か、のいずれかにあてはまるでしょう。しかしながら、語学を学ぶ人がすべてそのいずれかに該当するわけではありません。それ以外の人にとって、文法用語を見てある程度その機能が思い浮かぶようにしたほうが学習するうえで便利です。そのため、あえて「形動詞」「副動詞」を使わず、「連体形」「連用形」に、「対格」「造格」「奪格」ではなく「目的格」「道具格」「起点格」に、それぞれ名称を変えました。
もう一つは、伝統文化が色濃く反映されたような例文ばかりにしなかったという点です。「モンゴル」というと、どうしても「草原にゲルを建て、羊や馬の群れとともに暮らす牧民の姿」を思い浮かべる人も多いと思います。実際にそのような生活が地方では営まれているのも事実です。しかしその一方で、首都ウランバートルではごくごくふつうの都会の暮らしがあるわけです。モンゴルの姿というのは一様ではありません。語学は、学んでいく際に例文を通じてその言語が用いられている地域の世界を頭の中で思いめぐらせることも多いでしょう。その際にステレオタイプなモンゴル像を植えつけてしまわないように例文を工夫してみました。ただし、ひとつ危惧する点があります。それはそこかしこに相撲に関する例文が(そして一部にはそれに関連するゴシップ的な例文が)載っている点です。例文で少し遊ばせてもらいましたが、そのことで「モンゴル」=「相撲」という新たなステレオタイプを植えつけてしまうかもしれません。そうなったらごめんなさい。
それから、執筆の際にものすごく気を遣ったのは文章です。ぼくは大学で、アカデミック・ライティングを教えています。そういった学術的な文章の書き方を教えている本人が、ひどい文章を書いていたら信用をなくします。できるだけ正確に、齟齬のないように、わかりやすく書くぞ、とがんばりました。よく学生が答案用紙の隅っこに書く、「自分なりにがんばりました!」というのとたぶん一緒です。
その甲斐むなしく、↑念校の段階でまだまだこれだけ修正箇所を残してしまうという悲しい結果になりましたが、これで自信をもって学生に「いかに推敲が重要か」ということを示すことができます。今年の夏は本当に付箋紙の消費が激しい夏でした。
あと残念だったのは、この書籍の刊行を祖母に見せることができなかったということです。モンゴル語学科に入学して以降、幾度となくモンゴルや内モンゴルに行っているわけですが、祖母にとってモンゴルという場所は遥か彼方に位置する場所でした。子どもの頃ぼくが病弱だったこともあって、ぼくが調査などで渡航するたびに祖母は心配していました。昨年末に祖母はもっと遠くに旅立ってしまいましたが、できれば生前に見せてあげたかったという思いにかられています。「まえがき」冒頭は、今後も祖母に心配させないために書いた「遠くないよ」という伝言なんです、実は。
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